インドの売春街の子供たちを想う(2/5)
売春宿
このような境遇にいる人々と関わりのある仕事をするようになったのは、私が「NPO法人インドに幼稚園を作る会」の活動に参加するようになってからです。
2010年2月、私は初めてインド最大の売春街であるムンバイ市のカマティプラ地区フォークランド街を訪問しました。 我々NPO法人の支援先で幼稚園を共に運営している現地NGO AAWC(アップネ・アップ ウーメンズ コレクティブ)のスタッフに同行し、幼稚園児の家庭訪問の名目で売春宿を数か所訪問しました。
売春街は観光旅行などで立ち寄るような場所ではありません。同行したスタッフの女性はアウトリーチ・ワーカーと呼ばれ、子供達を毎日売春宿に迎えに行き、幼稚園まで連れてきます。そして夕刻に再び幼稚園から家まで送り届けます。子供達が騙されてドラッグの運び屋などに利用されるのを防ぐために同行は不可欠と言っていました。また子供達の母親のカウンセラーの役目も担っています。AAWCの協力とアウトリーチ・ワーカーが同行してくれなければ、我々が売春宿・街に足を踏み入れる入ることは危険で、とてもできません。背後には闇社会があるからです。
売春街の脇道の下水にはまるまると太ったネズミが数匹ウロチョロし、犬や猫の死骸も目に入ってきました。街角には昼間から女が客待ちをしています。一人の女は商売熱心なのか活発に人に話し掛けをしている。もう一人の少女は下を向いたまま顔を上げようともしません。最近売られて来たのでしょう、うぶな感じのその少女は、自分の置かれた今の境遇の理不尽さと絶望感で悲哀にくれているようでした。
大人一人が通れるような狭く、暗い路地の奥まった所に擦り減った石の階段がある。恐る恐る登っていくと廊下があり、その両側にいくつもの部屋がある。どの窓にも逃走防止のため鉄格子がしてある。
8畳くらいの部屋にベットが4台置かれ、うす暗く狭い部屋には裸電球と洗濯物が吊るしてある。売春の仕事も炊事も全てこの部屋でおこなわれている。彼女らの全生活の場所です。我々と話をしている母親の隣のベットには、病気を患っているのだろうか、痩せて弱々しそうな女が蹲るように寝ていました。
また別の部屋では6畳ぐらいの狭い所に3家族が暮らしている。 部屋には2段ベットが3つ置いてある。上段が「仕事場」、下段は家族のリビング・食堂・寝室兼用らしい。幼稚園児の母親の一人はまず「自分を日本に連れて行ってくれ」と言い、最後には「自分の子供を日本に連れて行って、教育を受けさせて下さい。」と懇願していた。せめて子供だけは自分と同じ道を歩ませたくないと願う、まだ若い母親の悲痛な思いがひしひしと伝わってきました。